デジタル大辞泉
「山形市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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山形市
やまがたし
面積:三八一・五八平方キロ
県の南東部に位置し、市域の中心部は山形盆地の南東部を占める。東西二一・五キロ、南北二七・五キロで、ほぼ四角形をなす。東は宮城県名取郡秋保町・柴田郡川崎町・刈田郡蔵王町、南は上山市、西は東村山郡山辺町・中山町、北は天童市に接する。東部は奥羽山脈が南北に連なり、東境界線上には雁戸山(一四八四・六メートル)・瀬ノ原山(一一八二・二メートル)・面白山(一二六四・四メートル)が並ぶ。南半は蔵王火山帯に属する。これら急峻な山地に源を発する馬見ヶ崎川・滑川(馬見ヶ崎川支流)・高瀬川・紅葉川(立谷川支流)などがそれぞれ北西流して平地に出て扇状地を形成している。現市域の中心部をなす旧城下町は、馬見ヶ崎川扇状地上に形成されている。西部は白鷹丘陵に続く山地だが、高森山(七八三・六メートル)・鷹取山(六〇六・五メートル)のほかは山も低く渓谷も浅い。中央部西より低平地を上山市から流入する須川が西の山地から流下する小河川を合せ、北流から北東流し、当市北西端で馬見ヶ崎川と高瀬川を合せた白川と、紅葉川と小河川を合せた立谷川の三河川が合流、合流直後の寒河江市で最上川に注いでいる。須川は蔵王火山の強酸性の金山川・蔵王川・酢川などが流入するため、灌漑用水には不適で、西部の農地も馬見ヶ崎川の用水堰から取水することが多かった。
気候は内陸型気候で気温の差が大きく、年間降水量(冬季の降雪量も含めて)も一〇〇〇ミリ程度である。交通はJR奥羽本線が市街地中央を南北に走り、蔵王・山形・北山形・羽前千歳・南出羽・漆山の六駅がある。山形駅を起点としてJR左沢線・JR仙山線が分岐している。奥羽本線にほぼ並行して国道一三号が縦断する。一三号と中央で交差する国道二八六号が東西を横断、このほか市街地から国道一一二号が鶴岡市、国道三四八号が長井市へ通じている。
〔原始〕
現在、市域で確認されている最古の遺跡は縄文時代早期のにひゃくじ遺跡で、田戸並行式期の土器・石器が出土、縄文時代前期の荒谷遺跡からは県内最古とみられる土偶が出土している。このほか同時代前期の大森遺跡、同時代中期の百々山遺跡、同時代後期の中谷柏遺跡・上野遺跡・下宝沢遺跡などが分布する。弥生時代の遺跡は市の全域に分布するが、江俣遺跡からは籾圧痕のある土器、七浦遺跡・今塚遺跡などからは石包丁が発見されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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山形〔市〕
やまがた
山形県東部にある市。県庁所在地。上山市と天童市の間に位置し,東は奥羽山脈で宮城県に接する。市の中心部は西流する馬見ヶ崎 (まみがさき) 川扇状地にある。 1889年市制。 1943年より 56年までに鈴川村,千歳村など 20村を編入。地名の由来は,野方,里方に対する山方の当て字とする説など諸説がある。延文1 (1356) 年斯波兼頼が出羽の按察使として入部して築城,以来城下町として発展。現在の市街地の基礎は斯波氏の子孫最上義光が文禄年間 (1592~96) に造成したと伝えられる。県庁設置後は,山形県の政治,経済,文化などの中心都市として発展。鉄瓶を主とする伝統工業の鋳物製造が有名で,西部に鋳物工業団地が造成された。桐紙,木工製品,仏壇,刃物などの在来工業のほか,電気機器をはじめとした弱電関連工業が発展し,工業団地が造成されている。商店街は,七日町周辺のほかに都市改造計画と関連して山形駅前にも形成され,商圏はさらに新庄,米沢盆地にまで拡大の傾向にある。周辺の農村部では野菜栽培やサクランボなどの果樹栽培が行われる。名所旧跡に富み,名勝・史跡の立石寺 (山寺) や,市街地北の嶋遺跡,山形城跡も史跡に指定されている。北東端の面白山 (おもしろやま) から南東端の蔵王山に連なる山岳地帯一帯は蔵王国定公園に属し,蔵王温泉や蔵王スキー場がある。中央部を山形新幹線,JR奥羽本線が北上して JR左沢 (あてらざわ) 線,仙山線を分岐し,国道 13,112,286,348号線が交差する交通の要所。山形自動車道が通り,山形北,山形蔵王,関沢インターチェンジがある。面積 381.30km2(境界未定)。人口 24万7590(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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